万年筆 :: 木村ロキ

木村ロキ

ABOUT

最(災)悪を終わらせるWEBプロデューサー

ロキの要約

SUMMARY

  • 世間がバブルで浮足立ってるとき、とっても優秀な大学に入ってみたものの『あれ?思ってたんと違う。。。』と思い始める
  • そんな時、短期留学で考え方や価値観、人生観が大きく変わり、得意なことや好きなことを学ぼうとダブルスクールでファッションの専門学校へ通い出す
  • ファッションビジネスが面白くてMD(マーチャンダイザー)を目指し、その後デザイン画を持ってアパレルメーカーでのアルバイト探し。そのままアパレル(DCブランド)へ就職し、商品管理をしながらMDに就く
  • その時、業務で教わったCADやオフコンなどに興味が移り、タイミングよく破格の年俸と条件で求人が出ていたソフトウェアの商社に転職
  • まだPCが一人一台じゃなかった時代にソフトウェア商社で新設されたハードウェア部門で企画・マーケティングを担当
  • MS-DOSが主流だった時代にWindowsやOS/2が新OSとして登場し、IBM社からDOS/V機が発売。それに伴ってさまざまな周辺機器も同時に投入され、LANやWANなどネットワークも強化、正に新時代の幕開けとなったそのど真ん中で、現在のベースとなる基礎知識を一気に身に着けることになる
  • バブル崩壊後もその進化は止まらず、パソコン通信やEメール、チャット、掲示板など、次々とサービスがリリース。通信環境の改善も目覚ましく、ついにインターネットの登場
  • インターネットの普及と同時にリアルなフィールドがインターネットへと徐々にスライドしはじめ、以来約25年、気付けばこの世界にどっぷり浸かってた
  • いろんなサービスがリリースされ、求人サイトや医療系ITなど必要とされる会社や業界を転々とするものの、パソコンやインターネットの黎明期からフィールドは変わらず、プチバブルやリーマンショックを乗り越え、アラフィフになって最近ようやく落ち着いて、やりたいことがやりたいようにやれるようになった
  • 東日本大震災をきっかけに、働き方を改めて考えるようになり、同じような考えを持ち、志を共にするクリエイターのギルド組織を設立。フリーランスや女性の働き方、地方創生、人財育成など、東京を離れて自分らしい働き方、自分にしかできないことを実践している

これから先も、このインターネットというフィールドとリアルを繋ぐ仕事を続けていきたい

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激動の時代に翻弄されながら自分探し

CHRONICLE

考えるロキ :: 木村ロキ
考えるロキ :: 木村ロキ

バブる1988~

大学と専門学校のダブルスクール

高校3年夏、東京予選敗退で高校球児に幕を降ろし、特待生で期待の星だったので「学校来なくていいから受験勉強しろ」と言われ、2学期から学校の代わりに予備校の早慶ゼミへ。短期集中力を発揮して目出度く合格を果たし入学するも、1年ちょっと通ってふと『ちょっと違うなぁ』と思い、興味のあったファッションの専門学校とWスクールを始める。
世はバブルでDCブランドブーム。ひょんなことからお気に入りのブランド商品管理としてバイトを始めてそのまま正社員として採用。同時に大学を中退。当時は成りたいものに成れた。

オサレづく1989~

DCブランド~マーチャンダイザー

大学中退に、いろんな大人に将来を棒に振ったと呆れられ、怒られながらもオサレに目覚める。アパレルに就職し、丁度MD(マーチャンダイザー)に空席があったので、そこに入れてもらう。定番カットソーやメンズスーツ、ディスコの黒服など、企画モノを担当。
PCがまだ普及してない時代に、CAD/CAMやオフコンなどに触れ、メーカーでの研修を受けたりしてそっち方面に興味を持ち、当時まだワープロ専用機がバリバリ一軍で活躍してた時代に、個人でまだまだ高価なPCをはじめて手に入れ、いつの間にか周囲で一番詳しい人になっていた。ちなみに手に入れたパソコンは中古のEPSON PC-286シリーズだった。

調子づいて弾ける1991~

ソフトウェア商社 企画推進室

オサレも飽きたし、ギャラも安いし、師事してた上席MDも退職したので転職を決意。少しバブルが陰りはじめるも世はまだまだ好景気。業務で興味を持ったパソコンの世界で働こうと転職先を探してた時、ソフトウェアの商社が新たにハードウェア部門を新設するという募集を見て応募。PCが使えるというだけであっさり一次通過、二次の面接では高校球児だったというだけで採用。しかも年収が倍に。
企画・マーケティング担当として、WindowsやDOS/V規格のハードウェアをメーカーと共に販促を中心に、コンピュータやネットワーク、プログラムの知識は全てこの時のOJTやセミナー等によって培われ、今でもココがベースだと思ってる。

いい時代だったが遂にバブルがはじけ、危機感センサーがいち早く察知。最期にC言語の基礎だけ教わって逃げる。

思い知る1992~

システム開発会社 プログラマー

人手を欲しがってたシステム会社に潜り込む。C言語, COBOL, FORTRAN, アセンブラなどを教わりながら、ハードウエア制御や汎用機の日本語FEPなどの開発、宅配便の送り状に印刷するプログラムを組んだり、外資系企業に出向して中国人においしいウーロン茶を毎日御馳走になって、未だにペットボトルのウーロン茶はおいしく感じないカラダにさせられながらも、それなりに必死でくらいついていたがオブジェクト指向が出てきて「あ、向いてない!」って気付いてしまって、経営状態がよろしくないと聞かされ、これ幸いと離脱成功。

これまでの会社も、この会社も、直後に倒産。持ち前の察する能力を発動したのでギリセーフ。

思いきる1994~

コンビニ経営 代表取締役

目鼻が利いて危うく難を免れたあと、たまたま立ち読みで見た求人誌の裏に「若い経営者、東京進出に力を!」みたいなコピーに魅かれて説明会にふらっと参加。なんとなくやってみようと応募したら、最年少だったのが目に留まり、10年間で10店舗を新規出店するエリアフランチャイズ契約を持ち掛けられノッてみて地獄を見る。

商売や経営のノウハウや従業員教育など貴重な経験ができた。契約終了後、自分へのご褒美として早目の隠居生活に。

冬眠から目覚める2003~

求人情報サービス会社 マーケティング室

1年くらいのんびり休んでる間にホームページ制作やらインターネットの設定やら、軽い経営企画など企業のお困りごとをお手伝いをしながらリハビリしてると、ある会社の新規事業立ち上げの話があり、面白そうだし経験を活かせるので会社員として復帰。

WEBサイトを立ち上げたり、サービスの企画やら代理店制度の企画、企業買収、PマークやISMSの取得、マザーズ上場など、経営戦略の一員としてベンチャーでバリバリやりました...が、急激に大きくなった会社の副作用で、創業当時の労が報われず、不本意な異動を命じられたのでバイバイ。

社会的貢献に貢献2005~

医療系IT起業 新規事業企画担当マネージャー

医療系ITベンチャーで新規事業の立ち上げがあり、ここでも昔のネットワークやプログラマーとしての知識が役立つ。レセプト関連の保険制度改革事業で国家プロジェクトの推進を任される。レセプトデーター自体は単純だが電子認証、PKIなどのシステムが複雑でなかなか苦労したが何とか実証実験は成功。法の壁に阻まれ在任中はサービスリリースはできなかったが、2007年の法改正でそのシステムが使えるようになったとか。

実証実験後、自分の役割は終わったので退職し、別の医療系ベンチャーへ。

通り過ぎる2008~

いろいろと

この後3年間、落ち着かない期間が続く。医療系ベンチャーを2社立ち上げ、医療制度とシステムやWEB、両方に明るい人材が少ないため、立ち上げ直後は話題にもなって順調に推移する。世は所謂ITバブル。IT絡みは軒並みプチ(IT)バブルで、この時、現在定番化しているSNSや検索サイトなどが生まれる。
しかしリーマンショックの影響で、俄かに周囲が廃業したり転職したりで騒がしくなてきたので、痛い目を見る前に撤退・廃業。
廃業後、渋谷のWEB制作会社に落ち着きかけるも業績悪化で退職、恵比寿の制作会社で劣悪な労働環境で疲弊して病んでしまいそうなのと、身内の難しい手術や長期入院などもあって退職。

業務委託で仕事しながら次を模索する。

三度立ち上がる2011~ Present

あゝギルド人生

東日本大震災をキッカケに働き方を自身で決めるためにフリーランスとなり、女性だけの制作ギルド「キユリアス」を立ち上げる。その後、瀬戸内海の弓削島に移住して地域の活性化に貢献するギルド「弓削島制作舎」を、続いて「GEKKO GUILD, LLC.」というギルドを統括する法人を設立、続いてキユリアスの育成枠として「TEAM A's」を立て続けに立ち上げ、これまで経験したことや不満に思っていたこと、後進の育成、働き方の創造を目的として、クリエイター側に立ったギルド実現のために運営責任者としてすべてを運営・管理をしている。

新たなる挑戦2023~ Present

養成・再起新たなる挑戦

コロナ禍でWEBクリエイターを目指す人口が増えるものの、職に就けない駆け出しさんが飽和状態で連日相談が寄せられる。行き場を失くした迷える駆け出しクリエイターの受け皿がなく目標を失いかけている。折角高額の授業料を払って、時間を割いて基礎を学んだわけですから、諦めてしまうのは少しもったいない気もする。
そこで、駆け出しクリエイターがチャレンジしたり再起できる環境を用意して独り立ちさせるプロジェクトを立ち上げました。ロキにとっても新たなるチャレンジです。

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ロキの由来

LOKI'S DERIVED FROM

ITやクリエイティブを活用した新規事業の企画・立案をミッションとして、制作会社に籍を置きながらコンサルティングファームに出向するもリーマンショックによって状況が一変、企業再生や事業再興が急務となり、複数のチームから成る事業再生プロジェクトが発足。そのうちの1チームを任されることになりました。

再生プロジェクト発足のあいさつで、バブル崩壊以来、世界的な不況を引き起こしかねないリーマンショックを『ラグナロク』と表現し、維持ではなく変革しなければならないという号令の下、我がチームは1社の倒産も事業閉鎖も出さず、リストラ(レイオフ)もせずに複数のクライアント救済という成果を出しました。

『ラグナロク』に一人気を吐くアゲアゲノリノリの北欧神話オタクがチームにいました。
彼女曰く「北欧神話は滅びの美学」でその点が再生プロジェクトと共通すると言います。
チームが始動するキックオフmtgで「どのように終わらせて、どのようにはじめるか、ギスギスした状況の中で我がチームはユーモアをもって再生にあたりましょう」と挨拶し、チームは見事にその通り動いてくれました。

北欧神話オタクの彼女は、初案件で成果を出した打ち上げの席で、ラグナロクのキッカケをつくった『最悪を終わらせる者』とも呼ばれる『ロキ』と僕の本名『ヒロキ』を重ね、この時からあだ名としてロキさんと呼ばれるようになり、悪戯好きや他と異なる発想、時に意地悪だったりトリックスターとも評される神出鬼没な北欧神話のロキのキャラクターと僕のキャラが似てると噂になり、身内だけに呼ばれていたあだ名が一気に周囲に波及することになりました。

でも北欧神話をよくよく調べると、いい神様とは言い難い所業の数々。これって悪口だよね?って思った時には既に浸透してました。成果に浮かれた北欧神話オタクの酔っ払いが付けたあだ名ですが、この3年くらいの間に親しくなった方はロキさんと今でも呼んでいただいてます。

時は流れて2015年くらいからブランディングの一環で個人的にキャラ付を意識し始め、ボーラーハットを被るようになったときに『木村ロキ』として公に名乗る機会を意図的に増やしました。そして2019年後半あたりからコロナが騒がれ始め、オンラインでの活動が増えた時に再び浸透。キッカケは異なりますが、このあとまた最悪の期間がしばらく続くことになり、結果的には新たなチャレンジを仕掛けることになるのは、運命の悪戯でしょうか。

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